曽我社長との掛かわり

1970年〜 日産自動車実験課で同僚として仕事に携わる。

曽我さんは1年先輩にあたり、それ以来の公私共々の付き合いが続いている。

(年齢的には曽我さんが5つ年上で、25歳で死んでしまった兄貴の代わりに、本当の兄貴のように慕っていつも頼りにしています)

日産自動車での曽我さんの仕事振りは、過去昭和39年第二回日本グランプリ自動車レース大会に参戦した経緯があり、通常の走行実験とは一味違った仕事振りであった。

(私は曽我さんからカウンターステアとかドリフトを教わりました。というか、隣に乗せてもらって見ていて技を盗んだわけで、いわば曽我さんは私のドライビングの師匠です)

この為テスト走行の規則を大幅に超越していた。

上司から再々厳重注意を受けていた事を思い出します。

曽我さんが実験課を退社し(有)大船安全硝子を設立し35年の間現在会社を存続成し得たのも、一般常識を踏まえた以上の車に対する情熱と経験が豊富であった事と思います。

私としても先輩のバイタリティーとアイデアを受け継いでフリージャーナリストとして、頑張っています。

追記

現在の仲間 日産自動車実験課の現役OBの会 神無月会年二回を開催し、情報交換交流が続いている。

参加人員約30名

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